令和7年度修了式校長講話「議論の楽しさ」
昇降口下の桜が少しずつ開花。
4月の新入生、新学年生を歓迎して欲しい。
今日は、今年度最終日、修了式となりました。
校長講話は「議論の楽しさ」について話しました。
みなさん、おはようございます。
今日は、1年の最後、修了式です。一区切りをつけて、次のステップに向かうところ。一年をやり遂げた清々しさを感じていますね。そんな皆さんに、今日は「議論することの楽しさ」をお話ししたいと思います。
さて、皆さんに一冊の本を紹介しましょう。大阪大学の研究者たちが真面目に、かつ遊び心を持って議論を尽くした、『ドーナツの穴だけ残して食べる方法』という本です。ここでのドーナツは、輪になった形を思ってください。ミスドには、輪になっていないものもあるけど、ポケモンなどのキャラクターものなど、今回それは除外。
「ドーナツの穴を残して食べるなんて、そんなの物理的に不可能だ」と切り捨ててしまうのは簡単です。しかし、この本に登場する学者たちは違います。数学者は「ドーナツの形(トーラス)」の定義から考え、工学者は「穴を空間としてどう定義し、保存するか」を模索し、美学者は「穴があるからこそドーナツである」という存在論にまで踏み込みます。みなさんが、興味のある分野の先生が書いた部分だけでも読むと面白さがあると思います。
今日は、この「一見無駄に見える問いを議論すること」の価値について、皆さんと共に、3つに分けて考えてみたいと思います。
一つめ、議論とは、世界の「解像度」を上げること
「議論」と聞くと、相手を言い負かすことや、一つの正解を導き出すことだと思っている人はいませんか? もしそうなら、それは大きな誤解です。
この本の面白さは、「一つの問いに対して、多様な視点が交錯する瞬間」にあります。
数学、物理学、歴史学、心理学、法学、哲学……それぞれの専門家が自分の眼鏡でドーナツを見たとき、そこには全く異なる風景が広がります。
議論をすることの真の面白さは、自分一人の視点では決して到達できなかった「新しい視点」を、他者の言葉を通じて手に入れることにあります。自分とは異なる意見に出会ったとき、「それは違う」と拒絶するのではなく、「なぜ、この人にはそう見えるのだろう?」と問いを立てる。その瞬間、皆さんの見ている世界の解像度は劇的に上がるのです。
二つめ. 議論する力をつけるために、今必要なこと
では、本校で学ぶ皆さんが、真の意味で「議論する力」を身につけるためには、何が必要でしょうか。私は二つのことが不可欠だと考えています。
ひとつは、「徹底的な基礎学力」という武器
これは、意外に思いますか。各個人の「知識を深めること」はとても大事です。
ドーナツの議論が成立したのは、参加者がそれぞれの分野でプロフェッショナルだったからです。確かな知識という足場がなければ、議論はただの「感想の言い合い」に終わってしまいます。皆さんが日々向き合っている数学の定義・公式や古文の文法、物理の法則。これらは将来、誰かと対等に議論し、新しい価値を生み出すための「共通言語」であり、皆さんの「武器」なのです。
もうひとつは、「知的誠実さ」という作法
これは、「わからない」を恐れない勇気です。
議論の場で最も恥ずべきは、知ったかぶりをすることや、論破することに固執して相手を敬わないことです。自分の仮説が間違っていたら、それを素直に認め、他者の優れた意見を吸収する。この「知的誠実さ」こそが、議論を建設的なものにします。
三つめ、議論が「学び」をどう変えるのか
最後に、議論することが皆さんのこれからの学びにどう生かされるのかをお話しします。
これからの社会では、AIが瞬時に「もっともらしい答え」を出してくれるようになります。しかし、「問いを立てること」と「納得解を紡ぎ出すこと」は、人間にしかできません。
議論を通じて多角的な視点を持つことは、皆さんの学びを「暗記」から「創造」へと変えます。
みんな自身が友達とすぐにでもできることとして、例えば、物理の法則を学ぶとき、「もし重力がなかったら?」という仮説を友人と議論したり、歴史の出来事に対し、「もし別の選択がなされていたら?」と多角的に検証したり、妄想したりは楽しい。
また、私たちは、うまく解釈できないときに「意味わかんねぇ」とつい言ってしまう。これは、私たちが常に能動的に物事を捉えようとしているということ。この「意味わかんねぇ」ときに、誰かに向かって「ねぇねぇ、これ意味わからんなんだけど」と話せるとよい。聞かれた相手は、「何が意味わかんねぇ」なのか、自分の知識を振り返る。これを「メタ認知」という。この一連のやりとりは、みんなの知識が能動的、つまりアクティブに働く瞬間、アクティブラーニングともいう。これは、わからなさをめぐるちょっとした議論だ。「意味わかんねぇ」は貴重な機会。ひとりの「意味わかんねぇ」は、そのわからなさの追求でちょっとした議論だ。このとき、質問した方と、質問された方はどちらが学びが大きいか? 質問した方は解決すれば、何よりだが、質問された方は、自分の知識がより深くなるので学びの価値は数倍大きい。人に説明したり、教えたりは自分の勉強にとって何より大事な機会だ。
春休みは、自宅で一人ということもある。誰か相手がいなかったら、生成AIでもよい。よくわからないことや問題があったら、それを写メって、AIにくわせて、「これ意味わからないのですが、中学生にもわかるように説明してください」と対話してみよう。このとき最初のところで、「あなたは、優秀な高校の数学の先生です」とか、AIの役割を定義してあげると回答の精度があがる。また、丁寧な言葉で語りかけると、AIも丁寧にかえしてくれる。
こうしたプロセスを経た知識は、一生忘れることのない、あなた自身のものとなります。一人で机に向かう時間は大切です。しかし、その孤独な思考を他者にぶつけ、揉まれることで、学びは初めて深まりをもち、社会とつながり、輝きを放つのです。
おわりに、皆さんは、この春休みという時間を使って、「よくわからん」も含めた多くの「問い」に出会ってください。そして、それを友人と、家族と、AIと、あるいは自分自身と対話や議論に繋げてみてください。
「ドーナツの穴」を真剣に論じる大人たちがいるように、皆さんも「正解のない問い」を愛せる人になってほしいと願っています。
一年間、よく頑張りました。4月、また一回り大きく成長した皆さんと、再会できることを楽しみにしています。